「感謝」に込めた思い。

唐揚げに対する思い。

元田川商工会議所会頭 柏木正清(山賊鍋創業者)とからあげ

店主の原野と申します。

からあげ屋を始めたきっかけをちょっと紐解ききますと、それは以前勤めさせて頂いた、山賊鍋の創業者との出会いにまで遡ります。

当時19歳の私は、3月から山賊鍋の本店でアルバイトをするようになり、ある時は厳しくまたある時は仏様のような 優しさで、26年もの間腹かせていただいた柏木正清会長にお世話になりました。

柏木正清会長は、高校を卒業後いったん三井鉱山に就職したものの、上司と喧嘩のあげく鉱山を飛び出る形となり、そこから自分で事業を起こされた方です。その最初の仕事が、50年ほど前に始めたブロイラー養鶏でした。当 時は育てた鶏を農協などへ卸されていたようです。

ところがある日、その鶏の大半を病気で失い、2000万円(現在の貨幣価値にすれば一億円ほどでしょうか)にもの ぼる借金を抱えてしまいます。 この借金を返すために会長が始めたのが廃品回収業、平たく言えばボロ買い屋です。

そこから必死の思いで借金を返すため働き続け、借金がある程度落ち着いて、今後をどのようにやっていくかと考 えた頃「鶏で借金ができたのだから、鶏で返す」という意気込みで、ついにはからあげ屋を創業することになります。

その当時田川で一斉を風靡することになり、これが会長が手掛けられた最初の飲食業で、そこから後の山賊鍋へとつながっていきます。

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私がなぜ、からあげ屋を始めたかと言えば、「柏木会長を尊敬しているから」の一言に尽きます。

寅年生まれで負けん気が強くとても面倒見がよく、受けたことは最後までやり通す気性で再起をかけてはじめて飲 食業の世界へ飛び込んだのが、からあげの感謝のルーツになる、からあげ屋「柏木商店」 だからこそ私も「最初の商いには、からあげ屋を」との思いは強く、その願いを今こうして叶えることができました。

柏木正清こそ「からあげの感謝」のルーツです。

口ぐせは『目配り、気配り、心配り。迎え三歩、送り三歩。店長の仕事は、従業員の賄いを作り、ごみ掃除をし、お 客様と友達になりなさい』。 この言葉を繰り返し、何度も頂きました。

そして現在、私自身の商いを始めるにあたり、26年間お世話になった会長に対して感謝すると言う重いと、山賊鍋 でお世話になった全ての事に感謝するという意味を込めて、屋号を「からあげの感謝」と命名させて頂きました。

微力ですが、会長亡き今も、人を大切にし、中心にした経営を心掛けておられた会長の背中を追って行きたいと 思ってます。

からあげの感謝 代表 原野 巧春